在日アイルランド人「日本で築いた強い絆!」日本に残り、自分らしく生きていく!海外反応
- 2019-10/14 (Mon)
- 日常
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大盛りあがりのラグビーワールドカップですが、日本代表も初めて決勝トーナメントに進むことが出来ました。おめでとう御座います。
台風で被災後、勇気づけられた方も少なくないと思います。
ちなみに先日対戦したアイルランドですが、日本にアイルランド人は約1300人いるそうです。
今回はその中の3名のインタビューをご紹介。
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■トラッド音楽演奏、講師の男性。2015年来日
ミュージシャンだった彼は東京に来る前はドバイで4年暮らし、同じ学校で働いていたカナダ人の妻と出会う。
それから依頼を受けて東京へ。ティン・ホイッスルのチャンピオンになったこともある彼にとって、トラッドミュージックが盛んな日本はうってつけだった。
現在は東京で暮らし、フィドル奏者をしながらアイルランド音楽を教えている。
「来てすぐアン・ソラス(渋谷のアイルランドバー)に立ち寄り、大きなセッションを見た。全員日本人だったけど、レベルはかなり高かったね。見事だったよ」と32歳の彼は振り返る。
仕事の契約は2年だったが、3回目の更新をした。「4回目の更新があればまた受けるよ」と語る。
一番の問題は言葉だった。二人とも日本語は話せなかったが、身につけるのは早かった。フィドルの講座やレッスンを通じて、日本の友人ができた。
定期的にセッションに参加し、東京のバンドと過ごすことで人脈を築くことができ、これが日本に滞在する大きな理由。
「同僚の多くは2年いるだけだね。仕事以外の人脈を作るのは難しいから。僕にとって音楽が、間違いなく仕事以外の友達を作る上で大きな役割を果たした」
「セッションが午後7時から9時までだと、きっちり7時に始まり、9時に終了。どんなに盛り上がっても、ファンが夢中になっても、9時に終了」
日本ではアイルランド音楽やダンス人気が高まるにつれ、ライブを催すパブが増えている。
彼は東京で、アイルランド人が経営するソラスとシチューハウス、池袋のダブリン、イタリア人夫婦の店のライブに定期的に参加。
音楽や仕事以外でも、夫婦は東京での生活を最大限に満喫している。
「自転車文化が気に入ってる。みな自転車通勤したり、休日はサイクリングしてる。東京でもローカル線に乗って神社巡りができる。選ぶのが大変だよ。それから食べ物も」
東京には約16万軒のレストランがあり、世界一ミシュランの星の数が多い。
「僕たちは恵まれてる。でも一つだけ選べと言われたら刺身。最高に美味しいね」
※当ブログ記事のYouTube他での無断転載を禁じます。The 訪日外国人!|マグナム超語訳!
■広告代理店勤務の女性
1998年夏、JETプログラムで来日し、アイルランドと姉妹都市の町に住むことになるとは思ってもいなかった。
彼女は大学のプログラムの一環として東京で1年間勉強。卒業後、日本語講師として滋賀県高島市に配属になる。
駅の外にはガリバーの像があり、コンサートホールはダブリンの聖パトリック大聖堂がモデル。町にはダブリンの植物園から送られたバラが咲いている。
「一時間おきにスピーカーからThe Last Rose of Summerが流れるんです」
高島はまるで故郷のようだった。 町にコンビニはなかったが、アイリッシュパブはあった。
JETプログラム終了後、彼女は日本に残りたいと考え、大阪の広告代理店に就職。
それから大阪からロンドンに引っ越し、日本最大の広告代理店の支社で働いた。
2015年、2020年開催の東京オリンピックとパラリンピックとのパートナーシップやキャンペーンの仕事で東京の本社に呼び戻される。
だが2018年の夏に会社をやめ、アイルランドに戻ったが長続きしなかった。
「日本が恋しくて。さいわい前の会社から復職を願われ、コカ・コーラの聖火リレーキャンペーンに取り組むように頼まれたんです」
東京の本社は約8,000人の社員と仕事をしている。「私が育った町ウィックローの人口よりも多い」と話す。
東京とダブリン、ロンドンで顕著な違いは、日本の職場にはクレイジーさが足りない点。
「オフィスに来ても誰も話をしません。勤務中はただ仕事、仕事、仕事。でも慣れて普通になります」
彼女は日本人と外国人の友人ネットワークを築き、アイルランド基金と聖パトリックデーの毎年恒例のイベントにも協力。
「毎日何か新しいことが起こるし、違う言語と違う文化の中で働いてます。でも慣れるし、それが普通になります。良い意味でチャレンジですね」
■マーケティングマネージャー女性。2008年来日
初めて着物を着たのは、教えていた福島の学校の終業式。
その日の午後2時45分、マグニチュード9の地震が発生。日本最大の地震となり、大津波を引き起こした。
すぐ高台に行くように言われたので、パニックになってる場合ではなく、生き残ることに集中。着物姿のまま走った。
デザイン学校卒の彼女は32歳の時、JETプログラムで来日。居心地のよい環境から抜け出したいと思っていた。
3年ほどいわき市で暮らし、地震と津波に襲われた。2011年の7月に契約終了だったが、地元を支援するために残った。
震災後に福島で過ごした18ヶ月は、彼女と日本の絆を深める時間になったと語る。大なり小なり、色んな意味で彼女に大きな影響を与えた。
「本当に日本に惚れた時だと思います。勇敢で決してあきらめず復旧に取り組む人たちを心から尊敬します。何もかも失ってしまった人たちがいました」
彼女はできる限りのことをしようと思い、週末は瓦の処分と清掃に懸命に取り組んだ。
忘れられない思い出の1つは、学校を失くした中学生が授業に参加した時。
教室はぎゅうぎゅうで全員分の机や椅子はなかった。教室のすぐ外には、瓦礫や瓦の山があった。
そして次なるステップは、アイルランドの大学院に入ること。ダブリンに戻り、バカルディに5年勤めた後、日本の飲料会社にヘッドハンティングされた。
彼女は80種の商品を監督し、9人からなる日本人チームを管理している。
女性マネージャーの割合が10%に満たない国で、彼女が成し遂げたことは尋常ではない。

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以上です、ではまた。