外国女子「スゴイ!今よりずっと日本っぽい!」大正・昭和初期の貴重な写真を発見!海外反応
- 2019-07/05 (Fri)
- 伝統・文化・歴史
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あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版)

英国出身の投稿者さんが、職場の知人から借りた古いアルバム(1930~40年代頃)を、歴史好きな彼氏さん(日本人)と一緒に紹介しています。
ネットオークションで手に入れたもののようです。
■1:00
彼女「同僚が古い写真を集めるのが好きで、それをお借りして、みんなに紹介すると面白いかと思いました。
これを初めて見た時は、不思議な感じがしたわ」
彼「実際に生きてたことが想像できないよね。当時の人や暮らしぶりとか」
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■2:40
彼「当時はみんな、こんな良いカメラは買えなかったから、このご家族はかなりいい暮らしをしてたと思う」
■4:20
彼「これは銃の先端にナイフが付いてる」
彼女「怖いわ」
彼「当時の兵士はみんな使ってたんだよ。1920代か30年代頃だね」
■4:50
彼女「素敵な写真だわ。ジブリのアニメに出てきそう」
彼「うん分かる。ラピュタのキャラクターみたいだよね」
■5:45
彼女「なんでこんな格好してるの?」
彼「さあ、相撲かな、たぶん」
彼女「力士にしては、とても痩せてるけど」
彼「当時はあまり食べ物がなかったからね。でもかなり強かったと思うよ」
■6:10
彼女「家族写真だわ。でもなんかみんな悲しそう」
彼「いや、当時はあまり動いちゃっだめだったんだよ」
彼女「そっか、撮影に時間がかかったから。あと坊やが洋服を着てるのがいいわ。彼以外は着物だけど」
■6:55
彼女「これも同じ家族?」
彼「そうだね」
彼女「大家族だわ。今とは違って。100年でこんなに変わるなんて」
彼「髪型もみんな同じだね」
※当ブログ記事のYouTube他での無断転載を禁じます。The 訪日外国人!|マグナム超語訳!
■7:15
彼女「これ可愛い。でも今とはちょっと違う制服だわ。丸いリボンがカワイイ」
■7:38
彼女「これは興味深い。これ、あなたが好きな格好でしょ?」
彼「そうだね」
彼女「洒落た帽子とか好きよね。あなたが好きな服装だわ。
スーツや帽子とか、和服に洋物を合わせるスタイルとか。いつ頃のもの?」
彼「大正の終わりか、昭和の始まりかな」
■8:25
彼女「これは立派な服装よ。とてもきちんとしてるわ」
彼「上村中将...昭和18年だって。戦中の頃だね」
■9:22
彼「広島城と...あと原爆が落ちた辺りかな」
彼女「原爆が落ちた同じ建物だよね? これは凄い」
彼「そうそうそう!実際に落ちた場所だよ!これは貴重だ」
彼女「爆撃される前の写真でしょ? 想像してみて、ここで人が生活してたのよ」
彼「てかさ、このアルバム、放射能が残ってるんじゃないの?」
彼女「アハハ。でも今も残ってるって事は、広島以外に移されてた気がする」
彼「そうかもね」
■10:52
彼女「彼が分析してみたところ、幸いこのアルバムは広島にあったものではなく、横浜や北海道など、あちこちに移動していたみたいです。
おそらく放射能は含まれていないかと、アハハ」
■11:10
彼女「これは戦前の写真?」
彼「そうだね。戦後はこんなふうに観光できない。男の人はみんな戦争に行ってたから」
彼女「11:20 あらこの人、あなたに似てるわw」
彼「そうかもw」
■11:30
彼女「丸々した赤ちゃんがすごく可愛らしいわ。旅好きな家族だから、すごくお金持ちだったと思う」
■11:50
彼女「これは何の写真?」
彼「子供たちを戦争に送り出してるんだよ」
彼女「辛いわね。まだ大きくないのに。
てかマジ凄い。これ戦前戦後の生活の写真だもの」
彼「彼は料理人とかじゃないかな」
■12:35
彼女「この写真、あなた好きでしょ」
彼「モボだよ。モダンボーイの略。1934年だし、かなり古い写真だね」
彼女「これは何かアートっぽい写真。こんなの作ってたなんて素敵だわ」
彼「このご家族は、アート好きでクリエイティブだったみたいだね」
■13:00
彼女「今回は歴史の一部が覗けて本当に楽しかったです。
今とは何もかもが違う生活が興味深かったです」
彼「今以上に日本人らしいと思ったな」
彼女「そうよね。伝統的な日本人って感じで」
以下、海外の反応
- ・ホント可愛らしいカップルだわ。+102
・大の歴史オタクだから、これはあなたの動画で1番好き。+78
・彼氏さんはすごく教養があって感心したわ。頭が良さそう。歴史のことなら何でも知ってそうだもの。スゴいわ。+40
・これかなり良い動画。シリーズでやって欲しい。+11
・ナイフのついた銃はベヨネット(銃剣)っていうんだ。弾が切れたら、剣で刺すんだ。素敵なカップルだね。+9
・これは普通とは違うクリエイティブな動画だわ。
あなたは日本にいるユーチューバーで1番ユニークだと思うわ。まだ若いのに。がんばってね。+4
・ちょっと彼氏さんの英語が、あなたの英国訛りが移ってて可愛いわね。
・スゴイ、こんなお宝を見つけるなんてラッキーよ!
・日本と日本の文化が大好きだ。インドから
・恐らく国会図書館の軍人アーカイブで、上村中将のことを確認できます。
写真は富裕層だけのものではありません。
ほとんどの人はカメラを所有してませんでしたが、特別な日に地元の写真家を雇うのは一般的でした。+11
- ↑・投稿者|上村中将のことを知りたくなりました。情報ありがとうございます。
↑・上村中将のことを調べてみました。
上村はよくある名前ですが、隣の名前が楠本で、楠本はやや珍しい名前です。
そこで彼らが所属していた部隊についてあれこれ調べてみると、陸軍の第57師団が該当しました。
右の写真は、楠本実隆陸軍中将です。1941年10月15日から1943年3月11日の間、第57師団を指揮した方です。
左は上村幹男陸軍中将で、3月23日まで指揮しました。
楠本中将は大東亜省に転勤し、北京に駐留。戦争を生き延び、戦争犯罪で裁判にかけられることなく、1946年に日本に戻りました。
上村中将は運に恵まれませんでした。彼は第57師団の後、1945年3月に第4軍の司令官となり、その後捕虜に。
戦後はソビエトで拘留され、ハバロフスクの労働収容所で亡くなりました。
当時、大日本帝国とソビエト連邦は、互いに侵略しないことで合意した日ソ中立条約がありました。
この条約は、廃棄通告後一年間有効(1946年4月まで)でした。
しかし、1945年8月6日にアメリカによる広島への原爆投下で、ソ連は日本が降伏する前に参戦することを決断。
ソ連は1945年8月8日に日本に宣戦布告し、この条約を無視して侵攻を開始。
日本が降伏後も侵攻を続け、およそ60万人の日本人がソ連の捕虜になりました。ほとんどは投降した兵士ですが、民間人もいました。
降伏した兵士や一般市民は日本に帰るはずでした。でもソビエトは戦闘で捕獲した訳ではないのに、彼らを捕虜として扱いました。
彼らはシベリアに送られ、長年強制労働者として収容されました。
およそ10分の1が捕虜として亡くなり、上村中将もその1人です。
戦後秩序では日本=悪者なので、あまり語られない歴史の悲劇であります。
みな日本人が行った戦争犯罪ばかり話しますが、日本人に対して行われた戦争犯罪のことは話しません。+4
↑・投稿者|すごいです、よく調べましたね!本当にありがとう御座います。とても興味深いお話でした。
でも降伏したのに、亡くなってしまわれたのは本当に残念です。
・また他にも面白い写真を見つけて欲しいわ。
・彼のような彼氏がいて羨ましいわ。彼はあなたのような彼女がいてラッキーだわ。+8

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以上です、ではまた。