ルイジアナ女性「ホント強烈だから覚悟して!」日本から帰国したら逆カルチャーショックに!海外反応
- 2019-07/01 (Mon)
- 日本でカルチャーショック
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大阪で6年暮らした投稿者さんが、帰国して受けた逆カルチャーショックについて紹介していました。
■はじめに
最近、6年間暮らした大阪を離れ、母国アメリカに戻りました。
でも次に起こる出来事に準備ができていませんでした。
最近、私はハリウッド側のタイ料理屋で友人と近況を報告しあい、食べ終るとウェイターがすぐに領収書を持ってきました。
なんとかお昼代が30ドル以下に収まったことを喜び、デビットカードを渡しました。
でもカードと一緒に領収書も返され、記入の必要がある小さい空欄があるのに気づきました。
私はそれを見て混乱し、そして喘ぎました。
「そうだ、チップを忘れてた!」
生まれも育ちもアメリカですが(レストランで働いたことさえある)、頭の中でチップの存在が完全に消えてました。
帰国したのは、ロサンゼルスで新しい生活を始めるためです。
日本の他の地域もそうですが、大阪の店員は1時間ごと時給で賃金が支払われます。
つまり店員は、客が水を飲み終えたら補充するのを常に待ち構え、チップを期待している訳ではありません。
私は思いっきり、逆カルチャーショックに襲われたのです。
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■「新しい」発見
逆カルチャーショックは海外生活から帰国後に生じ、これまで馴染んでいた物事が、何らかの理由で、戸惑うほど異質に感じてしまうこと。
23年間アメリカで育ったので、生魚と喋るトイレのある国で暮らすには慣れが必要だった。
母国を離れたのは6年と比較的短い期間でも、帰国してこれほど奇妙に感じるとは思ってもいなかった。
それでも、逆カルチャーショックは最高に楽しめる。全てがとても新鮮で刺激を受ける
母国でのやり方を学び直し、毎日が苦しみと宝物のような経験。沢山の「新しい」発見に驚き、日々を楽しんでいる。
これから私が個人的に経験した、最も衝撃を受けたことを幾つか紹介します。
■日本人は礼儀正しいが、アメリカ人は人懐っこい
今では家を出ると、とにかく見知らぬ人と会話をする。
通りを歩く人は笑顔でハイと言ってくるし、レジ係は話しかけてくる。そして並んでる人たちと親しくなる。
見知らぬ人が髪の色を褒めてくれ、自ずと冗談を言い合う日常に。
対照的に、日本人は見知らぬ人と話すことはあまりない(お酒が入らなければ)。
人間らしい会話を妨げるほどの、厳格な形式と固さがある。
だが一度、日本の人と知り合いになれば、性格がよく分かってきて嬉しくなる。
でも初めから垣根がないのは楽しいものだし、新鮮ではある。
■日本と違い、飲酒は社交のメインではない
一日の終わりの飲み会は、多くの日本人にとっては一般的。
飲酒は、社交と仕事づきあいにおいて重要な一つ。
土曜の朝、大阪で英語を教えていた時は、二日酔いの生徒たちをよく目にしたもの。
だが時間が経つにつれて、気にならなくなった。それが日常になり、結局私も金曜は深夜まで飲むようになったので。
それからアメリカに戻ってからは、飲んだビールは一杯だけ。遊びに行ってもお酒は絡まない。
「ハンドルキーパー(運転担当の酒を飲まない人)」という役割のおかげで、特定の人は常にシラフでいないといけない。
私はバーボンストリートと呼ばれるニューオリンズにある大学に通っていたが、日本にいた頃よりも飲まなかった。
飲酒は義理というより、もっと個人の選択のようなものだった。
アメリカでは、平然と二日酔いで現れる生徒たちは想像できない。
一方日本では、翌日どんな予定があろうと、しこたま飲むのは普通だったりする。
■交通機関や施設は日本が遥かに上
大阪では、繁華街直通の駅から徒歩3分の場所に住んでいた。
今は運転免許証もなく、南カリフォルニア郊外で暮らしている。
高速道路と広大さが特徴のこの地域は、移住先として相応しくなかったかも。
1960年代から、日本は洗練された高速鉄道網を誇る。新幹線なら、大阪から東京までの所要時間は3時間以内で行ける。
一方、カリフォルニア州は2008年以来、似た距離のLAとサンフランシスコ間で、高速鉄道の建設計画をずっと延期している。
アメリカでは電車を使うことは滅多なく、選択肢には入らない。
公共施設は日本の方が遥かに優れている。トイレはほとんど汚れておらず、十分プライバシーが守れる高さのドアがある。
道路にははっきりと分かる標識があり、きちんと舗装されている。
ニューオーリンズの住民は、毎年穴の空いた道路のために投票している。
日本では、毎日が快適さと利便性と共にある。今後もアメリカがそうなるとは思えないほどだ。
■母国で日本語を話しても褒められない
誰ひとり。理解できない言葉を話したって、友達や家族が感激するわけがない。
日本にいるうちに、彼らに自慢できる何かを他に身に付けておくべきだった。
■友達の場合
逆カルチャーショックは、程度の違いはあるが誰もが影響を受ける。
私は進んで元の生活に戻りたかったので、おそらく1番問題ないケースであろう(便利な電車と温泉がないこと以外は)。
その一方で、私の友人のようなケースもある。日本にいた間、ちょうどカリフォルニア出身の彼女と出会った。
私たちはヴァギナの話で打ち解け、彼女は知的で人当たりがよく、毎日刺激を受けていた。
彼女はフェミニズムや白人至上主義のような問題について、自分の考えを話すことを恐れない科学者である。
先月サンフランシスコ近くで(もちろん)寿司屋で彼女に会うと、あまりアメリカの生活に馴染めていなかった。
彼女は大阪大学で生殖生物学の修士号を取得後、2018年早々に帰国。
彼女は日本のホストファミリーと親しくなり、日本語もペラペラ。地元のイベントにもよく参加していた。
関西にいた3年間、日本の生活に見事に馴染んでいた。
彼女にとって最大の問題は、今の米国の政治情勢。特に医療や銃規制のような問題で疲弊している。
日本で彼女は人種や性差別を経験し、特に外国人女性の立場で苦労していたが、それでも今の問題よりはマシだという。
「ええ、日本は女性嫌いで人種差別的」と彼女は私に話した。
「でも医療について心配する必要はなかったし、銃や暴力の心配をする必要もなかった。人生で1番体調が良かった」と。
彼女は、日本では1日に1万歩以上歩き、日々の生活のことを考えるだけでよかった。
でもカリフォルニアの悪名高い自動車文化のおかげで、今やその歩数はその半分以下に。
だが彼女は、自分の分野で成功するためには、アメリカに戻らなければならないことを知っていた。
「日本では感情的にも肉体的にも平和に暮らしてたけど、知的面では違った。
女性、特に日本人以外の女性の声を聞いてもらえない国で、私は自分の能力を浪費していた。
少なくとも母国では、戦うことができる」
彼女は現在、病院でボランティア活動をしながら自分の研究を進めているが、また別の問題に直面している。厳格な両親と暮らしているからだ。
「自分の家のあらゆるルール全てを再び学習しなければならなかった。
両親と一つ屋根の下に住んでいると、夜遅くまで友達の家に外出できず、特定の服も着ることもできない。
この国はあまり安全には思えないし、運動もしなくなり、日本が恋しくてかなり落ち込んだわ」
彼女は続けた。「毎日苦しい。セラピーにも通い、助けにはなるけど、私のこの苦痛を本当に理解してくれる人は、ほとんどいない。
1年が経ち、まだ苦しいけど、1日の終わりには私はより強くなってるし、日本も変わらずに存在してるから(たぶん)」
※当ブログ記事のYouTube他での無断転載を禁じます。The 訪日外国人!|マグナム超語訳!
■自分の場合
確かに私は日本語を勉強し、大阪で友達も沢山いた。
でも大抵は在日外国人たちと一緒に過ごすことが多く、母国の友人や家族と定期的に連絡を取り、常にニュースを更新していたから、それらが役に立った。
私の場合は、家族の緊急事態によって、帰国が幾分早くはなったが、正直に言えば、もう帰る準備はできていた。
日本は大好きだったが、政治的なことに関与できず、フェタチーズ(ギリシャ産のヤギのチーズ)もなかなか見つからない場所で暮らすことにウンザリしていた。
よって私からのアドバイスは、帰る準備ができた時にだけ帰国すること。
寂しがる母親に負けないこと。事前に計画を立てること。慌てて帰国しても、仕事や滞在先も見つからない羽目になる。
就労ビザが失効したり、家族が亡くなって帰国しなければならない場合もあるが、自分から意図して帰国できれば、ずっと気分よく帰れる。
いくつかの都市で暮らしてみて、風変わりで独特な経験をしたが、どれも慣れるのに時間がかかる。
また、どんなに長く滞在しようと、どこでも完全には馴染めない。
(大阪では私は常に外国人だったし、LAでは車を持っていないと言うと、人から奇異に見られる)
場合によっては友達のように、新しい国で部外者として暮らすか、それとも帰国して苦しみながら暮らすか、どちらの選択が正しいのか判断するのは難しい。
でも住んでいる場所に関係なく、あなたの一部は常にその場所に残る。それが移動生活の醍醐味です!
ですから日本での生活を終え、帰国を考えているのなら、予期せぬ事態に備えておくこと。
そして、ビックリ仰天するので覚悟して。
以下、海外の反応
- ・日本を離れて本当に恋しいのは、特別な存在として扱ってもらえることだよ。+14
↑・日本で外国人は百万分の1の存在だが、帰国したら単なる百万人の中の1人だからな。
・6年いた日本が恋しいわ。夫について行ったんだけど、日本で色々と活動に専念したり、素晴らしい友達ができたわ。
帰国して全部お別れしたけど、もうしばらく日本にいたかったわね。+2
・11年住んだけど帰国することに。
逆カルチャーショックは計り知れないものだったし、母国に戻って1年経っても、まだ治らない。
20代全てと30代の一部を日本で過ごした。
青年期の全てを別の国で過ごせば、その国の特徴に馴染んでしまう。
日本以外の仕事に慣れるのはかなり難しいよ。たるんだサービスや仕事の仕方には我慢ならないし、習慣はなかなか抜けない。
当てにならない交通機関、公務員の態度の悪さ、冬の凍結、信じられないほど高い家賃と生活費にも慣れてきたけど...
日本は遅れてる所が数多くあるけど、それでも僕を楽しませてくれる素晴らしい所もある。
日本から搾取的な政府や司法制度がなくなれば、楽園に近づくよ。
できるだけ早く日本に戻りたい。上手くいけば、もうすぐビザが取れそうだ。+9
- ↑・私も11年間日本に住んでいた。
2011年にニューヨークに戻ってから、ゆるいサービスや仕事の仕方には頭がおかしくなるよ。頑張ってみても、適応するのは難しいよ。
・30代半ばから大阪に住んで20年になる。
母国を出た時は、地元や国があまり好きじゃなかった(20代は愛国者だったんだが)。
でも今は観光客の立場で故郷に戻ってるから、本当に楽しいよ。
住みたくはないけど、数週間滞在して家族や友人に会うのは最高だ。+5
・日本にいると、より安全を感じます。人々の働く姿勢に誠実さが伺えます。
あと、すぐに街中の自転車に鍵がかかってないことに気づきますね。つまり盗難が起こらないことを意味します。
人は誠実で勤勉で礼儀正しいし、交通の便も良く、健康的な食品を見つけやすいので、落ち着いて快適に暮らせます。+4

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以上です、ではまた。